第7回市町村婦⼈(⼥性)防⽕クラブ幹部研修会
「第7回市町村婦⼈(⼥性)防⽕クラブ幹部研修会」が、平成16年7⽉15⽇(⽊)・16⽇(⾦)の2⽇間、ホテルルポール麹町において、開催されました。
この研修会は、団体相互の交流と活動内容等の情報交換などを⾏うことにより有事に際して地域間組織の⼀層の充実・強化・連携を図り連絡応援態勢の構築を目的に⾏われております。
15⽇は先ず、(財)⽇本防⽕協会常務理事⼩林弘明より開会の⾔葉の後、当協会会⻑徳⽥正明より、講話が⾏われました。
次いで、総務省消防庁東尾正次⻑より、「安⼼、安全な地域づくりを目指して」のご講演をいただきました。
その後、サカモトキッチンスタジオ坂本廣⼦先⽣の講演「⾷から防災を考える」が⾏われ、阪神⼤震災の実体験を織り込んだお話に多くの拍⼿をいただきました。
次いで、茨城県龍ヶ崎市婦⼈防⽕クラブ会⻑久慈靖恵さんによる「茨城県の婦⼈防⽕クラブ活動と龍ヶ崎婦⼈防⽕クラブの将来の展望」と、静岡県富⼠宮市芝川町婦⼈防⽕クラブ会⻑遠藤初⾳さんによる「富⼠⼭の麓の婦⼈防⽕クラブ」の体験発表が⾏われました。
夜は交換会が⾏われ、各都道府県間での交流が盛んに⾏われました。
※16⽇の様⼦については来⽉掲載の予定です。
講演「⾷から防災を考える」(要旨)サカモトキッチンスタジオ 坂本廣⼦先⽣
7⽉15⽇(⽊)14︓15〜
こんにちは。わたくしは今、ご紹介頂きました神⼾から参りました坂本です。
神⼾は、昔は港町と⾔われていたのが、阪神⼤震災の「地震の︖」とよく⾔われるようになりました。実際、わたくし⾃⾝は神⼾市の東灘区という所で実際に阪神⼤震災で被災いたしました。
あれから、もうすぐ10年近くになろうとしています。今も、ずっとこの場所に住み続けて⾒て来ておりますと、この10年近い歳⽉というものは「もし、地震がなかったら︖」「もし、あの時にこうだったら︖」といろいろな想いが
今になって、随分と出てきました。この10年の間、ずっと同じところから町を眺めていますと、町がどんどん変わっていくのを⼀定の場所から観察しているような状態です。
私が住んでおります東灘区の場合は9割⽅がつぶれたという非常に⼤きな被害があった所で、実際に地震の後には市場もいわゆる⽣活に必要なものを売っているところもほとんど壊れてしまいました。その後、すぐに⼀度は皆⽴ち上がりました。しかし、3年くらい経つと、だんだんと⼈がいないであるとか、非常に不便になったということもあって、ぽつぽつと⽴ち上がったお店も閉めはじめました。5年目にも、やはり1度そういう波がきました。そして8年目からは最後まで何とか頑張ったけれども、もうこれでおしまいだという形でお店を閉める所がいっぱいになってきました。⼀時、⽴ち上がった市場も数軒程度に、なくなってしまいました。地域の中をずっと⾒て来ていると、「⽣きていくってどんな事なんだろう︖」と逆にとても考えさせられる事が今、⼤変多くなりました。
東灘区は、去年、震災前の⼈⼝に戻りましたが、それは、もともと住んでいた⼈達が帰ってきたのではなく、⽴ち直れなかった⼯場や家々の後にマンションが建設され、全く地震を知らない、新しい住⺠が住み始めたというものです。約三分の⼀が新しい住⺠に変わりました。でも、⼈⼝が戻り建物が増えたから「復興」したとは、もともとそこに住んでいた⼈達にはとても思えないのです。今まで住んでいた⼈がもう⼀度、元の⽣活に戻れたわけではないのです。⼤事な事は何かというと、私達が今、⻑年にわたって住んで来て、全然違う別世界が出来てきたという事です。
私も⼦供が3⼈おりますが⼦供達の友達は震災後、他の年代の⼦供達と⽐較すると、元々地元にずっと住み続けている友達が非常に少なくなってしまいました。幼なじみがずっといるということが無くなったために、⼦供達の⼦供時代の思い出も震災に持っていかれたような気がしています。実際、私達は今、震災をどうしたら防げたのだろうかと考えると、地域というものをもっと⼤切にした形で避難が⾏われ、しっかりとしたシステムがあったなら、今のような状態にはならなかったのではないだろうかという気も非常にしています。
そして、実際にこの10年の間に目⽴った⼀つの出来事は、震災から2・3年目くらいにその頃に働き盛りだった⼈達の突然死が⼤変多くなった事です。震災前と⽐較して3倍くらいに増えました。
震災直後は皆、無我夢中ですが3年目くらいになると張りつめていたものがふっと切れたのではないかと思います。⼈間はずっと張りつめては⽣きていかれないのだと思えます。そしてこの10年の間に家を失って帰って来られなくなった⼈達など、様々な事が後になって分かってきました。実際に、災害が起こった時に本当に必要なものは何かと考えた時に、最終的には⼈がそのコミュニティの中でで活き活きと⽣活できる地域を守るという考え⽅を持つ必要があると思いました。地域の中で何気なく買い物に⾏けてガスも⽔道もちゃんと出て、晩ごはんが作れごはんが⾷べられ、そして、またもう⼀⽇働いてと、そんな平和に暮らせる、これをずっと維持するためにはやはり努⼒が必要だと思います。
今、地域を育てていくにはどうしたら良いか︖という事を何もない時期から考えて、もし、何かあった時にもその考えに戻っていく必要があると思います。
実際には、⽇々の⽣活で災害に⽴ち向かうのは難しいですが、災害を減らしていく努⼒はできます。
それをある程度、⽇常⽣活の中で取り⼊れていく必要があると思います。
突発的な事故の他にも、⽇常でも意識して減らせる事は非常に多くあります。実際に、私の⺟は82才で阪神⼤震災に遭いまして、隣の家からドミノ倒しで家が倒れてきたそうです。⺟は82才にして、⾃分の⼈⽣がほんの⼀部屋に納まるくらいになってしまいました。⺟のためのバリアフリーの家を近くに建築し、本⼈が思い描いていた形とは違うのかもしれないけれど、ようやく「毎⽇のごはん」が何気なく作れるようになりました。
1分遅ければ助からなかったかもしれない、1センチずれていたら助からなかったかもしれないそんな中で6千⼈近い⼈達が亡くなったわけですが、助かった者はそれに対して何にもなかったかのように忘れていくのは⼀番いけない事だと思います。
想いを残したまま亡くなった⼈達の為にも、⽣き残った者が伝えていくことがこれから先、同じ想いで亡くなっていく⼈を減らすことになるのではないかと思っています。
死なないために、⽇常⽣活の中でこれをしておけば良かったと思う事は非常に多いです。何が⽇常の減災に⼤切なのかをまとめてみました。
震災はいつどこで出会うか分からないです。⾃宅でない場所で出会うかもしれません。私が個⼈の防災バッグだと考えているものは、ハンドバッグです。ハンドバッグというのはどこかで何かに出会った時でも、それが⼀つの防災になるように少し考えておくと随分違います。
私のハンドバックに⼊っているものを紹介すると、まず住所録です。震災の時は電話が本当に通じにくくなります。そんな状況で、かかってきた電話の相⼿に連絡を頼む際に⼤変役に⽴ちます。携帯に⼊れておけば良いと考えている⼈も多いかと思いますが、携帯が⾒つからなかったらおしまいです。
⼤判のハンカチは⽌⾎にもなり、救急という意味でも役に⽴ちます。鍵はチェーンで付けておくと出しやすいです。あとは少しの⽔です。ミニペットボトルなどで結構です。少しの飴は、いざという時のエネルギー源になります。マジックペンはどこにでも何にでも書けるように油性が良いです。⼩銭も必要です。いざという時は、おつりなど何も出ません。震災時、すべての物価の基準は10円もしくは100円になりました。1万円札などは何の役にも⽴ちませんでした。
公衆電話もカードは使えなくなり、10円100円は使えました。買い物の際に⼩銭を少し残しておくなどしておいた⽅が良いかと思います。
あとは、銀⾏や郵便局のカードです。通帳や判⼦がなくともお⾦が引き出せます。
笛は、声が出せなくても⼤きな⾳が出せます。実際に私の裏の家の⽅は、消防と警察の連絡の狭間で亡くなりました。その家の前を通る⼈は多くても、誰もそこに⼈がいる事に気づかなかったのです。
⾃分の居場所を⾃分で知らせることが出来るという意味でも笛は必要だと感じました。
真っ暗闇はどうしようもないので、⼩さいマグライトという懐中電灯を⼊れています。
ポリ袋は⽔を⼊れたりとか、とっさの時にいろいろ使えます。
⾃分の⾝体に合った常備薬は最低1⽇分は⼊れておいた⽅がいいと思います。
あとは、カードラジオです。いざという時はラジオしかなくなるので情報を知るためにはラジオは必要です。私は、携帯電話を充電しながら枕元にこのハンドバックを置いておいています。
家庭における防災としては、寝る前に飲み⽔をストックしておいています。2Lのペットボトルが取扱いしやすい量だと思います。
ガラス窓の前にカーテンを引くと、割れた時に⾶散防⽌になります。
あとは、⾐服の確認です。服がなくて外に出られなかったという⽅もいますし、⾐服は⾝体を守るという意味でも必要です。
それから家具の転倒防⽌ですが、天井までぴっちり収納していると倒れてきません。ぴっちり収納し、壁状態にしておくと⼀番安全なようです。
台所の器具などは倒れるのではなく、⾶びます。10kgでも平気で⾶びます。台所の家具は固定した据置または移動するコマ付の台にのせるのは⼀種の免震になります。
あとは、半年くらいは⼩さいガラスの破⽚が出てきました。そのために、底の厚いスリッパをはいていました。いざという時に外に出ることもできるので便利です。
震災の時には、近所のおじいちゃん、おばあちゃんは倒れてきた家の下敷きとなって亡くなりました。そこにいるのは分かっていても、⼤きな梁があってどうしようもなかったのがつらかったです。
3⽇後に⾃衛隊の⽅がやっと掘り出してくれましたが、あの時に私達が壊す道具があれば助け出せたかもしれない、そういう想いはずっと残っています。その経験から、マンションのメーターボックス中にバールや⻑いノコギリやとんかちなどを置き、⾞にもバールを置いたりしています。壊せる道具をそういった場所に置いておくと、いざという時に使えます。押⼊れなどに⼊れておいてもいざという時には取り出す事は難しいです。
あとは、古くなったタオルなどを当ててガラスを割ると破⽚が⾶び散らなくて便利です。
物を壊す時には「やさしく壊す」練習をしておくと良いと思います。それから救急⽤として、ポリ袋、ラジオ(電池)、⼩さな台⾞や救急キット、そして⽔はペットボトルなど)に家族の⼈数×1Lあるのが望ましいです。ダンボールにポリ袋を貼るだけて桶としても使えました。ポリ袋はいろいろ使えて役に⽴つのでストックを置いておくのが望ましいと思いました。お⽔は⼤変重いので、運ぶのに台⾞があるのとないのでは⼤違いです。
震災により風景や匂いが違ってしまったためか、家に帰れなくなる被災ペットも数多くでました。
ペットを飼っている⽅は、移動⽤ケージ等に慣れさせておくのも⼤事です。
それから、家族との連絡先を決めておくことは重要です。被災地内での連絡は難しい為、被災地より遠くの友⼈、知⼈、親戚などを連絡先とすると良いと思います。災害ダイヤルの活⽤も非常に⼤事です。
避難場所を決めている場合、⼀度は実際に⾏ってみることが⼤事です。震災の場合は壁が崩れていたりするので、そのままの道を通れないことが多いです。その為、いろいろなルートを試される事をおすすめします。
あとは、逃げる⽅法を家族で決めておく事は重要です。とにかく逃げることをまず教えるのが⼤事です。特に、幼い⼦供や⾝体機能に問題のある⼈に避難袋を持って逃げるとは⾔わない⽅が良いです。それが逃げ遅れの原因になる恐れもあります。
それから、⼼肺蘇⽣の技術は前もって習っておくのが良いと思います。実際に私の⼦供が震災で呼吸不全に陥ったときに、以前⼼肺蘇⽣を習ったのが、ふっとよみがえってきました。⾝体で覚えておかないと、とっさの時には絶対に出てこないと思います。
道具の使い⽅、調理の仕⽅は練習しておくのとそうでないのではだいぶ違います。アウトドアライフと称して、⽔を少なくする経験や⽕興しなどを⾏ってみるのも良いでしょう。体験させておくというのがすごく⼤事です。
それからもう⼀つは地域における防災を考えると、⼤地震の後の⼼のケアには、親しい⼈の存在が⼤切です。⼈が助けられるのはやはり⼈しかないのです。⼼の傷を治すには、コミュニケーションをとれる⼈が側にいるというのが非常に⼤切です。
また、実際に⼤きなことが起こったときには個⼈の⼒はしれています。⾏政の⽀援⾏動が求められます。
災害が収まった後の避難は、地域コミュニティを壊さない形を考えて欲しいです。神⼾の場合は、⽼⼈ばかりを集めてしまったために孤独死が多くでました。そこを⽚付けに⾏った⽅の話によると、⾷べ物が冷蔵庫に何もなかったりするらしいです。それは孤独死という名で⽚づけられる事ではなく、何にも⾷べる意欲も失った緩慢な⾃殺のような気がします。ただ、助かるだけではダメなのです。⽣きて⾏く⼒を持った助かり⽅をしないといけないのです。
そういう意味では、コミュニティを移動する時は村ごと町ごとの移動を考えて欲しいです。
給⾷施設はいざという時の台所として使えます。給⾷施設は炊き出しができる施設として残しておくことが⼤事です。神⼾の場合、そのような施設として機能していなかった為、震災の際には⾷べ物の保証がまったくなかったです。
いざというときに、地域でどのような事ができるかを地域全体として考える必要があると思います。
配給ですが、毎⽇の朝⾷、おにぎりの⼣⾷とワンパターンのままでした。しかも、それが⼀ヶ⽉で打ち切りとなりました。まだ何も回復していなくともです。
⾃分で⽴ちあがるにはあまりに状況が悪く、運良く避難所に⼊れた⼈以外、「⽇常の⾷」を確保するには⼤変なエネルギーが必要だったのです。
避難所の⾷事はボランティアが懸命に守っていました。神⼾商船⼤学もその拠点の⼀つでした。ここには畳敷きの柔道場などがあったので、地域のお年寄りの避難が多いのが特徴でした。⼀ヶ⽉後ようやく電話がつながった事務所に、以前講演に⾏った町から「炊き出しに⾏きたいのですが、神⼾市に聞いたら⼗分に⾜りているので断られました」と連絡が⼊りました。「市役所の周りは⼗分かもしれませんが、ここはまだまだです。是非来て下さい」とお願いしました。「何を準備していただけるのでしょうか︖」と聞くと、「豚汁とぜんざいとか…」という回答でしたが、「申し訳ありません、⼀ヶ⽉以上経つと応急の豚汁より、いつものおかずが⾷べたいのです」と、献⽴を変更してもらいました。そして当⽇、そこにおじいさんがお盆を⼿にやって来て、そのごくごく普通のおかずを⾒て⼤粒の涙をこぼしたのです。「どうかなさったのですか」と声をかけると、「このおかずを向こうで寝ている婆さんがどんなに喜ぶかと思ったら…」と拝むように運んでいったのです。その後ろ姿は今でも忘れられません。「いつものごはん」を作る術も、場所もみな⼀瞬で失ってしまったこと、また、次にそれを取り戻すことができるかなど、きっといろいろな思いが胸におしよせてきたのでしょう。「毎⽇のごはんが楽に作れる」ことは暮らしの平穏のバロメーターです。特に、⾼齢者にとっては精神的な安定や、健康保持の⽀えともなるのです。
事前の少しの公的⽀援は⼤切です。ほんの少しの補強で家がつぶれなければ、多くの命が救われます。安価な補強システムの研究などは⼤事なのではないでしょうか。
それから、防災は全世代で考えるものです。⼦供のころからの防災教育はとても⼤事です。
Hands-on教育はさわって、⾃分で⾒つける体感型の教育です。例えば、アメリカ・シカゴの⼦供博物館では実際に消防⼠が炎からの逃げ⽅や、電話のかけ⽅などを教えていました。⼦供達⾃⾝がいろんなことを⾒つけていくのを⾒た時に、私達もそのような授業等をしてもいいのではないかと思いました。
⼤切な事は⼈の命が守る⼒を⾃分にもつける、⼈の命を守るための設備はどうなのかというのを実際に知っておくと、⼀⼈でも多くの⼈を助けることができるのです。
そして、⽣き延びた⼈達が⽣きる⼒を失わせないような環境を作るという事が⼤切です。
神⼾市の場合は、いったんよその他府県に逃れると何の連絡もきませんでした。その為、戻って来られない⼈も多くでました。
最低限どこに誰が移住したかを把握するシステム・地域住⺠のトレースシステムを準備しておくことが⼤事だと思います。地域から出たら住⺠でないというのではなく、戻ってこれるための受け皿も必要なのです。メールマガジンやトレースバンクに登録するなどできれば、もっと多くの⼈が地域に戻り、コミュニティも戻ったのではないかと思います。
今、住んでいるそれぞれの地域をもし、⼤きな災害が襲ったとしても守っていく、事前の⼼の準備なり、受け皿の準備なりを平時だからこそ考える必要があると思います。
私は、その為に⾼齢者の⽅が、ずっと地域の中で暮らしていくことも⼤事だと考え、「ほのおのない調理施設」を提唱しています。また、お年寄りが⽕を使った煮炊きが危険などの理由で家を貸してもらえない為に地域を離れる事が随所で起こっています。そのため、私は絶対に⽕事を出さない⽅法として、IH(電気調理器)を使う、オーブントースターを使うなどをすすめています。⾃分の⾷べたいものを安全に作れる、として喜ばれています。
本当の復興は、毎⽇のごはんが何気なく作れる「ごはん指数」で図って欲しいのです。そして、再びの被災時にはどんな時も「⾷」を計画の中に組み込んで下さい。⼈に⽣きる希望を実感させる「⾷」が本当の復興を⽀えるエネルギーとなるからなのです。
だから、防災というのは平和を守る⾒えない⼤きな⼒なのです。だから、私は⽇常の暮らしの中から防災を⾒直していただけたらと思います。⼩さな仕事はその視点で⾒るとたくさんあるのです。
本⽇は震災の経験だけでなく、9年の間の体験や考えたこと、想いをこういう形でお聞きいただきありがとうございました、ぜひ、これからの皆さん⽅が⾃分達の⽣きていく良い地域を作る為にも、これからも頑張っていって欲しいと願っています。
「⾷から防災を考える」参考資料
『くらしの中の減災 阪神⼤震災から10年の間に』
1.個⼈の防災 ハンドバッグは防災バッグ
災害はどこで出会うか分からない。いざと⾔うとき必要なものは、持ち歩く。家の中での⼀番コンパクトな防災バックとなる。
⼊れておけばいいと考えられるもの
・住所録
・⼤判ハンカチ(三角⼱、包帯代わり)
・鍵はチェーンで付けておく
・少しの⽔(ミニペットボトル)
・少しの飴(エネルギー源)
・⽂房具(マジックペン)
・⼩銭(100円、10円、いざと⾔うときの流通単位)
・銀⾏カード(通帳、はんこがなくてもお⾦が引き出せる)
・携帯電話
・絆創膏
・笛(声が出せなくても、⾳が出せる)
・ポリ袋(ファスナー付、⼿付。かばんの中の整理にも便利)
・常備薬
・携帯ラジオ(カードラジオなど)
2.家庭における防災
2-1 寝る前チェック
・飲み⽔チェック
2Lのペットボトルに⼊れてある⽔→朝、植⽊に撒いて交換する。やかんに⽔をいれておく
・ハンドバッグは枕元に置く(⾝近において取り出せる、持ち出しできる)
・ガラス窓の前にカーテンを引く(割れたときの⾶散防⽌)
・⾐服の確認 ⾶び起きて逃げられるようにする。⾐服は⾝体を守る
2-2 家具の転倒防⽌
・天井までぴっちり収納
箱やボックス棚などで天井まで詰める。上まで詰めて、倒れにくい壁にしてしまう。
・台所の器具は固定した据付または移動するコマ付の台にのせる(⼀種の免震になる)
2-3 ⾃転⾞、納屋、メータースペース、トイレなどに破壊器具、救急器具などを保管
荷物が散乱しにくい場所、または散乱しても⼤丈夫な狭い空間や、家が崩れていても⼤丈夫なように外の空間に、置いておくと良いもの。
*破壊救出のためのもの
倒れた家屋、家屋内で倒れた本棚などから⼈を助けるためには、道具が必要。
・バール
・のこぎり
・かなづち
・ジャッキ(⾃動⾞⽤の⼩さいものでOK)
・使⽤しなくなった古いタオル、雑⼱など
*救急、非常⽤
・ポリ袋
・ラジオ、電池
・⼩さな台⾞(スケルトンカート)
・救急キット
・⽔(ペットボトルなど) 家族分×1Lあるのが望ましい。
2-4 ペットのために
ペットは我慢出来ません。⾷べ物、トイレ、居場所の確保が重要。
・移動⽤ケージ
普段から⾏動範囲に出しておき、そこに⼊るのを嫌がらないようにしておく。
・トイレ⽤品(トイレットシート、トイレ砂)
・少量のパックの餌(1kgパッケージ、または缶詰)
・リード(⼩型⽝、猫やフェレットなどでも外へ出すときには必ず必要)
・レジャーシート
・タオル
2-5 家族との約束
・遠くの連絡先を決めておく
連絡を被災地より遠くの友⼈、知⼈、親戚なりに集める。被災地内での連絡は難しい。
・災害ダイヤルの活⽤
・避難場所に⼀度以上は⾏ってみよう。
遊びついでに所要時間、距離感などの確認をする。道を変えてもいけるようにしておく。道路に家が⾶び出してきていたり、⽕事で燃えていたりして通れない事がある。他のルートも確認しておこう。
・逃げる⽅法を伝えておく
無理に非常袋を持って逃げるようにとは⾔わない。とにかく逃げることをまず教える。とくに幼い⼦供や⾝体機能に問題のある⼈に避難袋を持って逃げるように⾔わない。逃げる以外の役目は負わせない。その⼀⾔が逃げ遅れの原因になる恐れがある。
・⼼肺蘇⽣の技術は前もって習っておく
側にいる⼈しか救えない。時間との戦いであり、蘇⽣は⼼停⽌4分までが勝負。
・道具の使い⽅、調理の仕⽅は⽇常に練習しておく。急には使えない。
・⼦供の夏休み⼯作の⼿伝いや、キャンプに⾏って⽕熾し、アウトドアライフと称して⽔を少なく⽣活する経験や家でないワイルドなボットントイレの経験を楽しむのもいい。
3.地域における防災
⼤地震と⼼のケアには、親しい⼈による存在が⼤切という医師の指摘がある。それまで被災者が所属していたコミュニティが破壊すると、⼼の健康の破壊にもつながる。常に地域のコミュニケーションを図ることが⼤切である。
・お祭り、⾏事はコミュニケーションのトレーニングである。学校、保育所、公⺠館など地域の中の給⾷施設はいざというときの台所。炊き出しの拠点となる。
・隣近所に住んでいる⼈を知っておく。
4.⾏政に望む
⼤きな災害に対しては⽇常の想定を超えた⾏政の⽀援⾏動が求められる。非常事態での判断に被災経験から下記の点に配慮を希望します。
- 災害が収まった後の避難は、地域コミュニティを壊さない形を考えてほしい。
- ⾼齢者だけを集めるのではなく、コミュニティを重視して多層で集団ごとでの避難を考える。たとえば、中華⼈⺠共和国の上海で⾏われた⾏政による強制⽴ち退きの例がある。コミュニティ移動をするとき、村ごと町ごとそのまま別の場所に新村として移動した。
- 避難所(被災者住宅)を遠くにしない。災害が起きた現地(元住んでいた地域)での避難が⼀番。遠くへの避難は、⽣活基盤の違いにより結局はコミュニティの崩壊につながる。
- 地域内の施設を総合的に防災の視点から把握し、確保しておく。
- 学校、保育所、幼稚園、公⺠館など地域の中の給⾷施設はいざというときの台所。炊き出しの拠点となる。センター⽅式より、⾃校⽅式、個別⽅式を⼿放さない。
- 防災⽤品は⼀箇所集中の保管はしない。交通が寸断されて流通が不可能になるため、各⼾またはご近所最⼩単位保管をする。3〜7⽇分の⾷料、救急キットなど。
- 配給される⾷事は⻑期にわたる非常⾷ではなく、⽇常⾷が望ましい。特に⾼齢者にとっては精神的にも安定するだけでなく、健康保持の⽀えとなる。
- トレースシステムの設置
地域住⺠のトレースシステムを準備しておく。最低限どこに誰に移住したかを把握するシステム。 メールマガジン⽅式、トレースバンクに登録するなど情報の受け皿を作っておく。阪神⼤震災においては、⼀時避難のはずが、地域外に出たら住⺠でなくなったとして地元に戻るための情報も⼊らなかった。
- 事前の公的⽀援
ほんの少しの補強で家がつぶれなければ、多くの命が救われる。安価な補強システムの研究(例︓レンガの壁を荷造りベルトで補強など) - ⼦供のころから防災体験教育(Hands-on教育)
- 教育現場と連携して、実際の⽕災における注意点を分かりやすい形にして伝える。例えば、アメリカ・シカゴのシカゴ⼦供博物館の例。⼦供たちが⼊れるような家の模型を⽤意し、実際に煙をだして、具体的に炎からの逃げ⽅を教える。救急⾞の呼び⽅、消防⾞の呼び⽅を実際に内線電話を使って実際にやってみる。消防⼠が実際に現場に⾏く格好をして、インストラクターとともに⼦供たちに⽕事に関する授業を⾏ったりなどの例がある。